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「受け入れずして思想を嗜むことができれば、それが教育された精神の証である」とアリストテレスは言ったが、その態度は受け入れる人の癇に障る

さて、昨日まではひたすら技術系ブログの装いだったので、一転して哲学な話題です。この前の日曜日に娘たちが本を欲しがったので、近くの本屋に行ってきました。長女は雑誌、次女は夏休みの課題図書とドリル、三女はドリルを買いました。

で、実は僕も欲しい本があったのですが、なかったです(^^;てな話を嫁としていて、何が欲しいの?と聞かれ、「臨済録」と答える。当然のことながら「何ソレ?」となる。で、ざっくりと「臨済宗の本」と答える。「なんで?そんな本あるワケないでしょ」と言われる。

いやいや、岩波文庫で出てるんです。文庫本で出ていれば、おいてある可能性もあるじゃあないですか。(近くの本屋は岩波文庫のコーナーすらなかったが。その点において、嫁の方が正しいかw)

何気に思想・宗教って好きです。残念ながら、どれかの宗教を完全に信じることないのですが、嗜むことは大切だと思っています。アリストテレス式です。

アリストテレス

アリストテレス-エクセルアート

ギリシャの哲学者アリストテレスの名言に「受け入れずして思想をたしなむことができれば、それが教育された精神の証である」というものがあります。この言葉を知ったのは自分が中学三年生の頃(思春期真っ最中w)でした。

10台の自分はなるほどなぁ……、と思いました。そして、哲学、思想、宗教、そういったものを本気で学ぶワケではなく、日々の生活や大きな選択の際の参考程度に学ぶようになりました。

20歳を過ぎて、いやいや1つの宗教を信じることもかなり尊いことじゃないか、と信ずるものを持たない自分を卑下するようになりました。

30歳を過ぎて、そもそもこの言葉は事故言及のパラドックスを含んでいる、なんて思うようになりましたw(「受け入れずして思想をたしなむことができれば、それが教育された精神の証である」という言葉自体が一つの思想であるため、この言葉を受け入れてしまうと、「受け入れずして思想を嗜む」ことができない。)

しかし、この受け入れずして思想を嗜む態度というものは、思想を受け入れる人にとってはなんとも癇に障るものらしい。実はウチの嫁は創価学会員で、結婚した当初、自分なりにもいろいろ気になって、創価学会に関する文献をいくつか買った。そしたら嫁がキレたw「そんな本なんかで読むより、1回会合にでも来てみたら?」と言われた。

僕としては、思想を受け入れてしまっている人たちよりも客観的な資料を読みたかったワケですが、なかなかそういうことは理解されないらしい。しかし、信じたら信じたで、いろいろ不都合もあるので、なかなか難しい。実は僕の祖父はいわゆるアカだった人で、ベトナム戦争時は戦争反対運動を派手にやらかし、思想犯で投獄されたような人だった。(もう亡くなりましたが。)当然のことながら共産党を応援しており、当然のことながら創価学会とは折り合いが悪い。なので、僕としてはどちらを支持することもできない。

ところで、(これは僕の身内に関する話なだけかもしれないが)特定の思想を信じる人は他の思想に関する理解がなさ過ぎるような気がする。

僕の祖父(共産党支持)は言う。政教分離という法律があるのに、公明党と創価学会は法律違反だ、と。

僕は思う。政教分離という法律は、政治側が特定の宗教を支援することを禁止する法律であるため、宗教側が政治を支援することは違法にならない、と。

嫁の祖父(公明党支持・創価学会員)は言う。共産党っていうのは、右翼みたいなもんだ、と。

僕は思う。共産主義は左翼主義とも言い、思想的には右翼の対極にあるものです、と。

思想を受け入れる場合であっても、まず様々な思想を嗜んで欲しいな……と、少し思ってしまいました。

 

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