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子供の頃、祖父の話はおとぎ話のようであった。30年後、孫におとぎ話をしてやれるだろうか。

 

次女が学校の絵の具セットの申込書を持ってきた。いくつか気に入ったものがあったようで気に入った絵の具セットのところに「いいね」と書いてあった。僕的には若干の衝撃で、まさかの「いいね」だった。

考えてみると、この子が生まれた時にはすでにスマホがあった。まだまだ黎明期ではあったが、嫁はシャープのIS03を使っていたのを覚えている。僕はまだガラケーであったが、翌年にはWindowsPhoneを買った。なぜ、WindowsPhone?と突っ込まれそうだが、そこはこの際、置いておく。現在は、嫁はiPhone、僕はXperiaで落ち着いている。

その後我が家にはiPadなんかも登場し、長女がヘビーユーザーだったりするため、次女、三女もそういったモバイル端末に慣れ親しんでいる。そんなワケで、今回の次女の「いいね」は不思議なことでもなんでもない。

しかし、時代の流れを感じる。僕が子供のころ、自宅にある電話といえば、黒電話が1台あるだけだった。スマホが当たり前の今の子供たちからすると、それはほとんどおとぎ話のように感じられるのだろうか。さすがにそこまでではないのかもしれない。

自分の子供のころのことを考えても、親の話は結構身近に感じられたものだった。けれど、祖父の話はほとんどおとぎ話だった。

 

子供のころ、僕は京都に住んでおり、祖父は着物関係(友禅染)の職人であった。祖父からは近くに流れる堀川の友禅流しについての話を聞いた。

おじいちゃんが子供のころは、みんな着物を着とってな、もっとたくさん着物の職人がいたんやで。その頃はな、堀川もちゃんと水が流れててな、毎日着物を堀川で洗っとったんや。そやからな、堀川は毎日いろんな色しとったんやで。

僕が子供の頃でもすでに着物を着る人なんていなかった。着物を着るのは、成人式とか、結婚式とか、特別な時だけだった。祖父の仕事柄、着物を見ることは多かったが、自分の日常生活とは関係のないものだった。みんなが着物を着るなんていうのは、祖父が良く見ていた時代劇の中だけの話だった。だから、イマイチ僕には想像できなかった。そしてまた、その当時の僕の知っている堀川は完全に埋め立てられていた。真ん中の溝の部分だけ、ちょろちょろと水は流れていたが、水の流れる川というより、コンクリートの川だった。それだから、赤や黄色の色鮮やかな水の流れる川というのは、想像しがいものだった。

まさにおとぎ話だったワケだ。

次女を見ながら思う。この子が大きくなり、子供が出来たころ、孫に僕はどんな昔話をしてやれるだろうか、と。そしてそれは、孫にとっておとぎ話のようになるだろうか、と。

追記

現在の堀川は水の流れる川に戻っています。これもまた時代の流れでしょうね。下水道の整備等の都合で、合理的に埋め立てられた川でしたが、現在は綺麗に整備された川が流れており、遊歩道もあり、散歩するのに都合のよい素敵なところになっています。

これも祖父から聞いた話なので、どこまで本当かわかりませんが、下水道が整備されたころに堀川が完全に埋め立てられず、コンクリートの川として残されたのは、一条戻り橋のおかげだったとのことです。陰陽師の安倍晴明で有名なやつですね。この橋があるせいで、文化遺産として橋を残す必要があり、水は流さなくとも川も残す必要があったとのことです。この橋がなければ、きっと堀川は完全に埋め立てられ、今のように川の横を散歩することは二度とできなかったのかもしれません。

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