自分は本来、あまりお金に興味がなかったことを。
大学に4年間通った後、単位が8単位ほど足りなくて、半年留年してから卒業して就職するか。もしくは、フリーターとなるか。選択を迫られた。
実は紆余曲折あったが、留年の選択肢は初めからはじいていた。(親不孝だとかそういった話はとりあえずおいておいて、その辺は今は理解できている。)
とりあえず、実家でフリーターを1年ほどしたのち、住み込みの仕事を見つけながら、全国各地を転々とした。その当時、仕事の内容とか給料にはまったく頓着が無かった。重要なのは、場所だけだった。「今回は○○県で働こう」とか大体それだけを考えて、仕事を決めていた。
沖縄で働いた時なんか、ホテルの厨房に入ったのに自給600円台で、1か月フルタイムで働いて手取り月収12万くらいだった。今思うと、びっくりする。夫婦共働きでも今の自分の収入に届かない。しかし、自分一人食って行ける程度の収入って、たかが知れている。
まずまず困ったこともなければ、生活にも十分満足していた。むしろ最高に楽しい時期だった。
しかし、最高に楽しい時期は結婚によって終わりを迎えた。端的に言って、生活の維持にかかる費用が跳ね上がったせいだ。そうすると、それまでのようにやりたいことのオマケ的な収入では成り立たなくなる。必然的にお金を稼ぐことが最優先となり、自分のやりたいことを考える余裕はなくなってしまう。
気付けば、自分はお金のことしか考えないようになってしまっていた。(最近やっと余裕が出てきましたが)
この記事のタイトルは自分で考えたものだが、オグデン・ナッシュに似たような名言があったことを思い出す。
働きたくないというのなら、働かなくてもすむだけの金をつくるために、働かなくてはならない。
「働きたくない」というのと「お金に興味がない」は違うものだが、両方とも同様のパラドックスを含んでいる。きっと、人類に普遍的な問題なのだろう。仕事やお金といった実質的なものと本当に大切なものとは、トレードオフの関係になりやすい。偶然にもそれらが一致する人も時にはいるが。
しかし、大抵の場合は、自分が本当に大切にしたいものを大切にすると金銭面が疎かになり、逆に金銭面を大切にすると本当に大切にしたいものが疎かになる。
それでいて、金銭的な豊かさは本当に大切にしたいものを支えることができるという補完的な役割があるだけに余計にややこしくなる。
それゆえこのパラドックスは、多くの人の問題になりうるようだ。雰囲気は違えど、以下のものはすべてこのパラドックスに由来する問題だ。
ぁ、ヤバイまとまらなくなってきたw
でも、これだけは言える。このパラドックスから抜け出す方法を模索することが必要だ。方法は2つ。自分が本当に大切なことで稼げるようになること。それから、自分が本当に大切なことを大切にするだけの時間とお金を得られるようになること。