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美味しいものは体に悪い。健康志向のことはもう忘れましょう。

 

世の中はトクホ大流行で、各社こぞって機能性食品を生産しているが、果たしてそんなに体に良いことがそんなに重要か?まずは食べ物は美味しいことが最優先ではないか?

  • 赤身の牛肉より霜降りの和牛が美味い。
  • 健康志向のあっさりしたスープのラーメンより、脂でギトギトの背脂とんこつが美味い。
  • その他、ファーストフードは手っ取り早く美味い。
  • マヨネーズかければ、なんでも美味い。

これらはすべて、とても体に悪い。

そう、美味しいものは体に悪いのだ。

「そんなことはない。体に良くて美味しいものもある!」という意見も聞こえてきそうだが、間違いなく体に悪いものの方が美味い。理由は3つある。

 

美味しさを追求する際、体に良いものは制約が多い

まず、「体に良くて美味しいもの」に一工夫を加えて、「体に悪くてもいいからもっと美味しいもの」を作ろうとすれば、大体において作れてしまうからだ。ただただ美味しくあることを求めた時、「体に良いもの」は体に良いというルールを守らなければならないが、「体に悪いもの」は守らなければならないルールがない。これは正々堂々と戦おうとする格闘家と、とりあえず有利な武器を一通り取り揃えた武装勢力との戦闘に似ている。出会いがしらにマシンガンでハチの巣である。

「体に悪い」ということはそれ自体がスパイス

次に、体に悪いものを食べることには、その行為自体が特別なスパイスとなることが挙げられる。僕はこれを「背徳感のスパイス」と名付けた。性悪説を積極的に支持する気はないが、敢えて悪いことをするのは、確実な刺激物である。時として快感となる。ただし、これは体に悪いものに限った話ではなく、「高級食材にマヨネーズをかける」や「隠れて食べる」や「つまみ食い」でも味わうことができる。(食事に先だってする「つまみ食い」が食事の時間に食べるよりも美味しいというのは、もはや定説である。)

「体に悪いもの」はハングリー精神旺盛(?)

最後に「体に悪いもの」はハングリー精神旺盛(?)だということを挙げておく。体に良くてマズイものには存在価値があるが、体に悪くてマズイものには存在価値がない。崖っぷちである。貧乏で身分の低い家庭で産まれた「体に悪いもの」は美味しくなるか、それとも死か(二度と作られないという意味で)という究極の進路選択で勝ち残らなければならない。これに対し、裕福な家庭で育った「体に良いもの」は美味しくなる以外にも沢山の選択肢がある。例えば、病院に就職(病院食になる)、出家する(精進料理になる)など。
このため、現在生き残っている体に悪いものはすべて熾烈な生存競争を勝ち抜いてきたため、はずれがなく美味しい。

以上である。そんなワケで、美味しいものを食べよう!!

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