「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
めちゃくちゃ有名な福沢諭吉の『学問のすすめ』の言葉です。これだけ読むと、「人間みな平等」って感じがすごくしますね。
でも、福沢諭吉はあくまで、学問をオススメしたかっただけで、平等論をときたかったワケではありません。本当に言いたかったのは、「勉強して出した結果は平等に評価される」ということです。
え?それって当然じゃないの?
そのとおりなんですが。これは当時の時代背景が関係している問題だったりします。『学問のすすめ』がかかれた当時は明治時代が始まり、江戸時代の「士農工商」の身分制度が廃止された時代にだったのです。それまでの江戸時代は、どれだけ勉強をしたところで、農民が武士になることは許されませんでした。言いかえると、武士の偏差値60と農民の偏差値60は同様の扱いを受けて来なかったワケです。
福沢諭吉の真意は「誰の偏差値60も平等に評価される時代が来た!さぁ、みんな勉強しようぜ!!」ってことだったワケです。(現代の感覚でいうと、ちょっと不平等な感じがしますね。「勉強の不得意な人が一生懸命勉強してとった偏差値60」と「勉強の得意な人がテキトーにとった偏差値60」も平等に扱われるワケですから。)
で、現代の感覚で言わせてもらうと、完全にあたりまえのコトだけが書かれている本なワケです。
『学問のすすめ』を読んだのは最早10年以上前になります。当時、なんじゃこりゃ!?と、思いましたwいま読んで目新しいことは一切書いない。あたりまえのコトしか書いていない。面白味のない本として、読み終えたらすぐに放り出しました。当時の五千円札は新渡戸稲造で、千円札は夏目漱石でしたが、この2人の著作の方がよっぽど面白く思えました。
新渡戸稲造の『武士道』なんかは、今読んでも全然学びのある内容ですし、夏目漱石の小説も現代でも十分楽しめる内容です。(小説史的な観点からも夏目漱石は偉大だと思います)
そして、お札は新しいものに変わりました。樋口一葉と野口英世です。偉大な2人です。
で、まさかの福沢諭吉は一万円札続投!?なぜ!?って気持ちでいっぱいでした。
社会に出てみて、いまでは「あたりまえのコト」でも重要なことだと思うようになりました。それは、周りの人たちを見て、「なんと勉強をしない人たちが多いことか!」と思ったためです。
僕の周りの人は、みなさん日々の仕事に一生懸命取り組む立派な人が多いです。けれど、新しく何かを学ぶ人はほとんどいません。人によっては仕事から帰ったら、毎晩お酒を飲んで寝るだけという人もいます。
書かれてから、すでに150年近くが過ぎています。けれど、なかなか人々の心に届くものではないようですね。
改めて、学問の大切さを思います。僕は常に新しい知識を得ることに力を注ぐ性質で、そのおかげで会社でも有利な立場にいられるし、わずかながら他の収入源を得ることもできています。
これからも、常に学ぶ姿勢は持ち続けて行かねばなりませんね。
諭吉(一万円札)を手にいれたくば、諭吉に学べってことですかねw